ジャヴェド・アビディは脊椎破壊という先天性障害の病気をかかえながらインドで生まれました。インドは障害者に対する考えがあまりなく、アビディは自分の病気がきっかけとなりインドの障害者を保護する法律を国に認めてもらうため行動を起こしました。
ソニア・ガンジー(国民会議派のリーダー)との出会いもあり、インドでのリハビリ体制の遅れや、仕事を見つける難しさなど自身の体験を語りました。ガンジーはアビディに障害者部門を運営することを持ちかけ、彼は財団を継ぐ事を決意しました。
1994年3月、デリーのアメリカン・センターで、インド・アメリカ両国の障害者問題活動家を結ぶ電話会議が開かれ、2週間後、数人の仲間が集まりDRG(障害者の権利を守る会)
を立ち上げた。
この運動によりインド全土に障害者運動の輪が広がっていき、メディアでの紹介や全国に障害者団体が生まれ、いっそうの弾みがついた。法案の成立に向けて最後まで行動し続け、12月22日障害者法案は議会を通過し、1996年1月に正式に成立した。
アビディは次に、障害者法の中身を社会にどう根付かせていくかを考え雇用の分野に活動を絞ることにしました。1995年末、障害者の雇用を促す組織NCPEDP(全国の企画リーダー、政府担当者、障害者などの連携をとうして活動をし、関係者とのネットワークを築き障害者の雇用を増やそうとする)を設立した。1998年には障害者団体や企業に呼びかけて「障害2000」といキャンペーンを行い、ヘレンケラー賞(障害者の地位向上に貢献した個人や企業を称える)を成立した。
アビディの活躍により、ハイテク業界での障害者の雇用が進んだほか、わずか数年前と比べても大学進学の壁が格段に低くなり公務員への道も広がったのである。彼はこれからも消して運動を緩めないと心に誓っている。

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